社会を超えるものを

「みんながみんなを助け合える」

 

そんな考え方が今、必要なのだと思います。

 

今から100年前は1916年。20世紀。19世紀から引きずっていた矛盾と極限まで張り詰めていた緊張が限界に達し、第一次世界大戦が起きた。その真っ只中。

 

そして今、2016年。事情も形も違えど、あの時と同じように20世紀からの矛盾と緊張を引き継ぎ、それが今、どんどん悪化しているように感じています。もっといえば20世紀からの矛盾と緊張を基礎に、新たな21世紀の矛盾と緊張を生んでいるともいえます。

 

私は日本が今よりもっと誰にとっても住みやすい国になってほしいと願っています。

だからこそ、この矛盾と緊張は解消されるべきものではないでしょうか。

 

そしてそのためには、まずはみんなが

 

「みんながみんなを助け合える」

 

という考え方、共通認識を持たなきゃいけないと思っています。

 

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元々日本には「みんながみんなで解決する」って考え方があったと思います。

 

これを「社会」と言っています。

 

社会という言葉は色んな意味で使われていますが、その本質は、すごく噛み砕いて言えば、つまり考え方、共通認識なんだと思います。

 

そして今はそれが機能していない。社会っていう考え方が

みんなの頭の中で変わっていってしまい

「みんながみんなで解決する」というものではなくなってしまった・・・。

 

共通認識というのは、自分の頭の中で当たり前になってることで、それが他の人もそうだって思えること、っていう風に解釈してもらえればと思います。

 

「人を殺しちゃだめ」「人を騙しちゃだめ」「人のものを盗んじゃだめ」

 

これらは他の人に聞かなくても、そうだよねって言ってもらえるって確信できるものです。これが共通認識です。

 

そういうものの一つに「社会」っていうものがあって、だけどそれが今は、別のものに変わろうとしている。

 

「みんながみんなで解決する」から

「自分達が自分達で解決する」へ

 

これが今のみんなの、考え方になろうとしているのではないでしょうか?

 

「自分達が自分達で解決する」

頼れるものは自分たちのみ、どんな困難なことにも自分たちだけで解決していかなくてはいけない。そしてもし自分が自分たちという共同体から外されたりしたら・・・。

この考えは、日本をどんどん住みづらくする原因となっているのではないでしょうか。

 

そしてなによりこの考えは、今ある矛盾と緊張を解消するばかりか、より深刻化させています。これらは、「みんなで」取り組まないかぎり、解消できないものだからです。なぜでしょう。それはこの矛盾と緊張が、あまりにみんなの生活に密着し、ありふれているからです。この広大さこそが「自分達」という範囲では解決できない最たる理由です。

 

だから今こそ、

「みんながみんなを助け合える」という考え方を持つべきだと思っています。

 

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ここで、なら「みんながみんなで解決する」という考え方を再び持てばよいと思われるかもしれません。しかしそれは非常に難しいことだと思います。

 

なぜなら、ではそもそもなぜ「みんながみんなで解決する」という考え方から、「自分達が自分達で解決する」という考え方に変わっていったのか。ということを考えてみる必要があります。

 

時代が変わった。私たちを取り巻く環境が劇的に変化した。

その中でみんなの価値観、習慣が変わっていった。

もっといえば多様に、複雑になった。

そして60年以上続いた昭和という時代の中で、主流を占めていた価値観、習慣が、次第に以前の勢力をもたなくなった。

 

これにつきると思います。そしてこのような変化の中で、社会という考え方が機能しなくなったのだと思います。明治を始まりとして、昭和で最盛期を迎えた社会という考え方の本質は「契約による連帯」であると思います。契約のもつ一意的な性質が、多様で複雑になった価値観、習慣と齟齬を生んでいる。または契約による繋がり自体がすでに機能不全に陥っている。そしてまたそれに裏付けられた連帯は、ある主流な価値観、習慣による押しつけとなって、他のものを圧迫している。このような事態になっているからこそ、「みんながみんなで解決する」こと自体ができなくなっているのではないでしょうか。そして生存のために、自分が所属する共同体のために「自分達が自分達で解決する」という考え方に変わったのだと思います。

 

だからこそ、以前の考え方に固執するのではなく、今の時代に対応にしたより良い考え方を持つべきだと思います。

 

そして、それが「みんながみんなを助け合える」という考え方です。

別の言い方をすれば、自分の所属する共同体に偏ることなく、またそれに捕らわれることなく、自分が本来的に有用である有用でないということを超えた存在であることを自覚し、互いが互いを認め合い、同調によらない参加意識をもった「共感による連接」であり、社会的に言えば「自分がみんなで解決する」という考え方です。

 

みんなが「みんながみんなで助け合える」という社会を超えた考え方をもてば、日本は、誰に取っても、今よりもっと住みやすい国になると信じています。そしてそうなって初めて、今までの矛盾と緊張も解消されるのではないでしょうか。

 

私はそう思います。

 

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今回はざっと概要的に自分の気持ちを、考えを書きました。

次回からは各部をもう少し掘り下げていきたいと思います。

ではまた。